冷莫凡

冷莫凡

由愛構成,以愛為念, 啁啾不休,熱血未絕。

微小琥珀──《塩埕區長》紀錄片

以前は歌仔戲の「萬枝調」しか知らなかったが、後でこれが「塩埕區長」という名前の歌であり、内容が情色的で禁止されたこともあったことを知った。最初はただ良い調子だと思っていたが、興味が高まった。XD

情色文学は面白い。宮体や民間のどちらでも。

この歌に関連するドキュメンタリーを見つけたので、もちろん見ることにした。XD

監督の撮影手法については、個人的にはまあまあだと思うが、文史の観点からは内容が興味深いと思う。
映画のタイトルは「塩埕區長」で、最初は歌を指していると思っていたが、実際にはタイトル自体がダブルミーニングであり、まるで「塩埕區長」という歌や歌仔戲の「萬枝調」という名前が、かつての鹽埕區長郭萬枝と切り離せないものであるかのように、このドキュメンタリーは「塩埕區長」を記録し、「鹽埕區長」を記憶している。

こんなドキュメンタリーを見て泣くなんて誰が予想しただろう?XD
私は一瞬前まで笑っていても、次の瞬間には突然涙が溢れるような感情を持つことがあり、途中で涙が流れることもある。XD
途中には郭萬枝本人へのインタビューが収録されており、その時点でかなり高齢だった。
私は死を極端に拒絶しており、枯れ木になってしまった若かりし頃の風流さを懐かしむことや、音や姿がまだ残っているのに神魂が早くも霞んでしまった感覚は、私にとってとても痛いものだ。

歌の起源の探求から始まり、近所の噂やメディアの報道、親しい人々の話まで、段階的に進んで視点が変わるこの構造は、人々がどのようにして「真実」を確定できないか、事柄がどのようにして「真相」など関係ないことになるかをよく表している。横から見れば山、横から見れば峰、それぞれの人には立場があり、それぞれの事柄には視点があり、真の善悪は存在せず、相対的な論駁だけが存在する。

このような「小さな歴史」は、田舎の噂の非現実性を持ちながらも、まるで神話があったかのように、この土地で起こった出来事を微小な琥珀に閉じ込め、後の人々に少し垣間見る機会を与えている。

ドキュメンタリーで描かれている田調のインタビューの困難さには深く感じ入る。何度も記憶が残る機会がなく、肉体も消えてしまう。
少しでも記憶できることは、少しでも意味があると思う。

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