私は「信じる」ことができる自分が好きです。
因果と縁を信じています。
万物の必然性は、初めて剛さんを信じた時に確認しました。
言葉や名前には魂が宿っており、昔の人々もそう信じていました。
堂々と立ち、本来の強さを持つ堂本剛さん。
そして、縁の導きによって、私が見たのは、まさに田中圭さんのような存在でした。
私にとって、圭さんに出会うことは、やはり剛さんのおかげです。
剛さんのライブに行き、ホテルで偶然「おっさんずラブ」を見たことは、縁の働きが本当に不思議です。
今月中旬、圭さんの日記で財布を落としたと書かれていた時、私は心配になりました。財布にはお金だけならまだしも、身分証など重要なものが入っている場合、どうすればいいのでしょうか?彼のために心配し、悪意のある人に拾われないことを願い、早く見つかることを願っていました。
一昨日の朝、財布が見つかったと書かれていました(同じ財布かどうかは確かではありませんが)。私はすぐに安心し、口に「よかった」とつぶやきました。
非常に純粋で、直感的な反射的な気持ちです。自然に心配し、無意識に喜ぶ気持ちです。
私は思いました、私はまだ人を愛することができるのだと。
私は、私が愛する能力を持っていないと思っていましたが、私が愛する能力を持っていないとは限らないことに気づかせてくれたすべての人に感謝しています。
そして、彼が近々更新するだろうと待っていました。
日記は確かに更新されましたが、財布については触れられていませんでした(笑)。
彼の日記はとても幸せそうに書かれており、普段彼の日記を見ても純粋に幸せな気持ちになるだけですが、この日記を読んでいると、笑っているうちに目頭が湿ってくるような感じがしました。
そして、最後の部分を見ました。
涙がポロポロと流れ落ちてきました。
彼に惹かれるのはやはり縁です。
彼と剛さんの共通点、私との共通点、私はそれを感じています。
そして、私たちとは異なる部分もあります。
人生で最も重要な能力は、やはり「人を愛する」ことなのでしょうか?
善縁は善縁を引き寄せ、良い考えは良い出来事をもたらします。
私はずっと幸運だと感じています。私のような悪い人間でも、天地の加護を受け、母の愛を心から受け入れることができました。
私はずっと自分が人を愛することができないと思っていました。私も良い人になりたいし、愛を与えたいと思っていますが、それができないのです。私にはそんな能力がないと思っていました。私はそう感じていました。
自分を愛するために、私はすでに全力を尽くしています。
しかし、「愛」はやはり剛さんが言ったように、水の循環のようなものですね。
戻ってきた財布や訪れた賞は、愛の因果と縁ですね。