冷莫凡

冷莫凡

由愛構成,以愛為念, 啁啾不休,熱血未絕。

私の天よ。

記《プラトニック》第五集。私はこのドラマが好きになった。

おお天国よ。
おお天国よ。
おお天国よ。

まるでこの一文だけで、私が突然に大量に蓄積した理解と悟り、共感を総括するかのようです。

一話の間。
たった一話の間に、まるで全ての隠されたものが一気に明らかになったかのように、突然明確に露わになりました。
おお天国よ。

私は大げさに泣きました。

最初は、それが極端に純粋な悪意について話しているのだと思っていました。
誰もが持っている、生まれつきの、自己保護のための手段です。
『人間失格』でも同じです。誰もが悪いと言えるでしょうが、それぞれが普通以上に平凡です。
誰もが、日常を送っている良い人のように見えますが、誰もが意図的または無意識に小さな悪意を発散させ、これらの悪意は極端に純粋で、悪意を持って悪事を働くわけではなく、自然に、そして罪悪感を抱くことなく現れます。
誰もが美しさを保ちたいと思い、美しさを保つために行動します。
善は内在的に備わっているわけではありません。
私たちは悪くないですが、悪よりも善良だと思い込むことに慣れています。

しかし、それだけではありません。
第五集まで、私は大まかに迷っていました。謎解きやテキストの読解のように、解決策や理解の切り口を見つけたような感じがするものの、まだ何か見落としているような気がしました。小さな一部分の氷山を見たような感じで、水面下にまだ見えていない大きな部分があるのではないかと思いました。

しかし、この一話はまるで一瞬で全ての水を抜いたようでした。

死。生。愛。
やっぱり、果たして。
このドラマは最初からこれらのテーマについて話すと言い続けていたのですが、私はいつも覗くことができる鍵穴を見つけられず、直接ドアを開けてくれるまで見つけられませんでした。
そうだったのか、やっぱりそうだったのか。

私の大泣きは、私自身の強い共感から生まれました。
「完全に理解している」と叫びたいほどの気持ちです。
または、私が映し出されているのかもしれません。
美しさと善を期待しながら、自分自身の醜さしか見えなくなり、良い人のイメージはただの装いであり、死に対する絶対的な拒絶と生への極度の渇望、
特に、目の前に現れたもう一つの自分に対するものです。
人の愛は自分に与えるものであり、自分自身が夢や鏡から歩いてくることができるのか。
「あなたが来たなんて」。だから救われるのです。

プラトニックな。影恋の。
やっぱり、こんな感じなのです。
信じられない。

私の大泣きは、私自身がそれから私に向かって歩いてくることができるからです。

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